「善悪の世界から好き嫌いの世界へ ~お金編~」
このブログであろうがなんだろうが、書きたいことを書く!言いたいことを言う!やりたいことをやるってことを最近の課題にしている。
NonCove初心物のかどやんですww
遠慮なんて考える必要なく、言いたいことを言いたいように言える場所をこのブログでも中津の家でも至る場所に作っていきたいなーって思っているわけですが、僕がここ数年ずっと考えてきたことで、普遍的なテーマである「お金」をテーマに書いていこうと思います。
ここでは、好き嫌いの世界である自己実現の価値観で考えると、
お金とは、必要ではあるが、「交換価値の中で最も価値の低いもの」であるって思うわけです。
それはなぜかって、
お金がいくらあったところで、何かができるようになるわけではないからです。
むしろお金がありすぎると、お金が何でも自分のやりたいことをやってしまって、自分では何にも出来なくなってしまう可能性があるわけです。
本来、お金というのは、お互いの需要を充たす事を目的として、人と人が供給量の多い価値を交換し合うところから、道具として発案されたものです。
だから、
自分や他人が
一体何を望んでいるのかってことが最も大切なことで、
自分や他人に
望んでいるものを与えうるだけの供給量が余っていて提供可能なのかってこと
が次に重要になってくるわけです。
この世の中で、お金の単体が果たすことができる要素というのは決まっています。
それは、資本主義の政策上で最も成功した要素である、インフラを整えること。
もっと身近な言葉に言い換えれば、いかに便利で快適であるか、または楽であるかってことです。
資本主義が発達してくると、社会全体としてのインフラが発達してくるため、対してお金を持っていなくても快適に過ごすことができるようになってくるというのが、本来資本主義の目的にしていたビジョンであるわけで、あんまり気づいてない人が多いですが、日本に関しては、この目的はすでに達成されているわけです
お金単体が果たしうるもう一つの要素、それは権威です。
資本主義は、この権威というものを人に植え付けることを上手く利用してお金を回してきました。
前回にも書きましたが、お金という数値指標を設けることで複雑な要因を隠蔽することができます。
数値が多いか少ないかは、無条件で誰でも理解することができます
人に気づかないように搾取するためには余計な事を考えさせてはいけないのです。
たとえば、過酷な労働に耐えてくれる労働者を獲得するためには、単純に数字の見せ方を変えるわけです。
まず、収入の多い職業に就くことが、素晴らしい人間であるという権威と安定につながるという前提を社会全体に作っておく
そこから初めに労働に対して妥当でありそうに見えるような収入額を見せておいて、後から徐々に社会全体として絶対に必要な支出量を多くさせて、多くの収入分を回収する。
また、その人に働き続けることが社会的な善であるというプライドを刷り込めば、継続して過酷な労働条件で働いてくれる人材を必要最低限の条件で確保できるというやり方である。
実際はもっと複雑だけど、ざっくり説明するとこんな感じです。
資本主義が成長しきった今、お金を対して使わなくても便利になり。
お金の権威意識だけが残り、人が過酷な環境条件下で搾取され続けている世の中で,
ほんとにお金には価値があるのだろうかと考え直す必要があるんじゃないでしょうか??
資本主義の本来の目的がすでに達成されてしまった次世代を担っていくものとして、もっとみんな賢く、かつ自分勝手に生きていこうって!!
言いたいことを言いたいように書いております!
あーーー!すっきりした!
んじゃまた! かどやん。